- SUB MENU -
トップへ戻る /交通アクセス/ 組織情報 / 組合沿革 / 組合員一覧 / 青年部紹介

組合沿革

前浜で鰊が獲れていたころ
 
 留萌に於ける本格的な鰊漁は、弘化元年(1844)札受町で佐賀家が始めた.
鰊漁の目的は、肥料の需要により魚粕の生産であった。勿論付随する干し数の子、身欠ニシン等も北前船により、本州に運ばれた。

 このため、鰊の漁業者は漁業と水産加工業を兼業していた。留萌において、漁業者以外の水産加工業者が出現したのは定かではないが、漁業者が処理可能を超える鰊の漁獲があった時、これを買受け季節的に加工を行なう加工業者が現れた。この時期の加工業者は、主に小売業などとの兼業が主であった。又漁業の進歩とともに、助宗たらの漁獲が増加し、これらの前浜の原料を利用し、たらこ、棒干し、すり身、竹輪等を加工する専業の加工業者が現れた。
昭和24年には水産加工業者の業界団体である留萌第一水産加工業協同組合が誕生した。

 戦後の鰊加工は、化学肥料の導入により鰊粕肥料の需要が減少する中、戦後の食糧難と重なって、生食用、身欠ニシン、干し数の子など加工食品が主となり、鰊粕の加工は食品に向かない部分を原料とした加工となっていった。
 しかし、昭和30年には約250トンの漁獲を最後に、鰊は留萌から姿を消した。

昭和20年代の前浜ニシンの水揚げ風景

前浜から鰊が姿を消してから

 昭和30年に前浜から鰊が獲れなくなり、留萌に於ける水産加工業は一時下火となった。このため厚岸など他の地区から鰊を移入加工した。又昭和35年にはソ連鰊の輸入が始まり、輸入鰊の配分受け皿として留萌水産物加工協同組合が設立された。このような積極的な原料確保の努力により、鰊加工は息を吹き返した。

 一方昭和30年代後半に北転船の操業が始まり、釧路港に連日大量の助宗たらが水揚げされるようになった。釧路地区で腹出しされた助宗たらの卵を移入し、塩たらこの加工が始まった。昭和40年代、50年代前半にかけ数の子を凌駕するほど生産が増大した。

 昭和43年に厚岸鰊が終焉を迎え、国内産の加工鰊から全量輸入加工鰊にシフトすることになった。昭和44年から46年にかけて、ソ連抱卵鰊の禁漁(但し、日本船によるソ連海域の鰊漁獲は継続)、カナダ、アラスカ鰊の輸入がはじまるなど、原料確保の面で激動の時代であった。
 特にカナダ、アラスカに於ける原料鰊の加工、原卵の加工には、加工業者自らも現地に赴き調査研究、技術指導を行なって良質な原料確保に努め、現在の留萌に於ける数の子の生産の基盤が形成されていった。

 昭和47年には数の子が輸入自由化となり、留萌市水産加工業界は、数の子、たらこ、の2本柱に支えられ、最盛期を迎えることとなった。しかし、昭和52年の200カイリ規制による北転船の減船等の影響により、助宗たらの水揚げが減少し、これに伴って留萌における塩たらこの生産が減少していくことになる。

 以後、留萌における水産加工業の主力は、塩数の子となり、現在では優れた製造技術により、全国一の生産と品質を誇るようになった。

カナダの巻網によるニシン漁獲風景


留萌水産物加工協同組合のあゆみ

昭和24年4月

*【留萌第一水産加工業協同組合設立】
昭和30年 *【鰊前浜から姿消す】
昭和33年 *【厚岸ニシン昭和42年頃まで漁獲】
昭和35年 *【ロシアから鰊輸入始まる】
昭和36年1月 留萌輸移入水産物加工協同組合設立(組合員66名)
留萌市栄町1丁目 初代理事長 大野市三郎
昭和45年3月 留萌水産物加工協同組合に名称変更
昭和47年 *【数の子輸入自由化】
昭和51年11月 共同保管事業を行うため資材倉庫建設
昭和52年 *【200カイリ規制】
昭和53年 *【北商事件、数の子高騰】
昭和56年4月 産地法事業開始(昭和61年3月まで)
昭和57年 *【大西洋産鰊及び数の子の加工始まる】
昭和58年2月 *【留萌第一水産加工業協同組合解散】
*【留萌市水産加工総合管理センター完成】
事務所を留萌市東雲町1丁目に移転
留萌第一水産加工業協同組合の解散により、塩購買事業、販売事業、発送センター事業を継承する
昭和58年3月 留萌水産加工業界交通安全対策協議会発足
昭和59年3月 第二代理事長に井原長治氏就任
昭和58年11月 たらこ亜硝酸根試験分析事業開始
昭和59年4月 留萌水産珍味加工協議会発足
昭和60年4月 留萌水産加工業界安全衛生対策協議会発足
昭和60年8月 北海道産業貢献賞授賞
昭和61年3月 青年部発足
昭和61年4月 留萌市水産加工業振興事業開始
昭和62年 *【鰊事実上輸入自由化となる】
平成元年9月 細菌検査開始
平成4年10月 パーソナルコンピューター導入
平成6年9月 数の子看板設置(国道231号線)
平成7年5月 第二代理事長井原長治氏逝去
平成7年5月 第三代理事長に浜本武雄氏就任
平成7年8月 優良組合として中小企業庁長官表彰授賞
平成7年9月 数の子看板設置(国道233号線)
平成8年7月 数の子看板設置(国道232号線)
平成12年9月 過酸化水素共同購買事業を始める(平成19年度まで)
平成13年5月 第四代理事長に安達芳徳氏就任
平成13年8月 留萌水産物加工協同組合ホームページ開設
平成13年11月 優良組合として農林水産大臣表彰授賞
平成16年9月 楽天市場出店(数の子タウン留萌)平成18年5月退店
平成17年6月 第1回かずのこ料理コンテスト開催 (平成19年迄3年間継続開催)
平成24年5月  第五代理事長に加藤泰敬氏就任
平成25年5月  部員減少の為、青年部活動を休部とする。
平成25年8月  数の子看板撤去(国道232号線)高規格道路の利用増大の為
平成26年3月  たらこ亜硝酸根及び細菌検査事業廃止する
平成28年9月   留萌市「かずの子条例」制定される。